千種の今池にあります高価買取専門店、おたからや今池店の鈴木です!!

ティファニーは、世界5大ジュエラーのひとつとして知られる米国の高級宝飾店です。

長い歴史の中で優れたデザイナーを輩出し、数々の名作を誕生させました。

こちらでは、2回に分けてティファニーのジュエリーの歴史からデザインの種類、代表的なバンドリングの詳細などをご紹介していきます。

 

ティファニーの歴史

創業から15年で確立した地位

1837年チャールズ・ルイス・ティファニーとジョン・B・ヤングが文房具と装飾品の店としてニューヨークにオープンした事がティファニーのブランドとしての始まりです。

ちょうどフランスでHERMES(エルメス)が創業したのと同じ年になります。

1845年にはメールオーダーカタログ「ブルーブック」を発行。コマドリの卵から着想を得たブルーの表紙の色は、現在も「ティファニーブルー」としてブランドを象徴するカラーとなりました。この色は、後に特許を取得しています。

1848年にはフランスの二月革命に伴って貴族から貴重な宝石を買い入れることに成功し、ティファニーの代名詞ともなるダイヤモンドジュエリーの販売を開始。
チャールズ・ルイス・ティファニーはアメリカメディアから「キング・オブ・ダイヤモンド」とまで呼ばれるようになるのです。

1850年代に入ると、銀製品の取り扱いを開始し、1851年にはティファニー社が米国内初のシルバー純度基準を925/1000に設定しました。

また、「信頼できる」という意味合いの「STERING」と名付けて、スターリングシルバーとして地金品位のブランドを確立、世に広めました。

1853年には社名を現在のティファニー&カンパニー(Tiffany & co)に変更し、ニューヨークのブロードウェイ五番街に本店を移転しました。

本店の前にアトラスクロックが設置されたのもちょうどこのタイミングになります。

創業からわずか15年ほどで現在のティファニーの原形を築き上げたチャールズ・ルイス・ティファニーの手腕によってティファニーは成長軌道に乗っていくのです。

ティファニーの創業者チャールズ・ルイス・ティファニーは、アメリカを代表する宝石商としての地位を確立しました。

更なる飛躍を遂げていくティファニー

パリ万博で銀器部門のブロンズメダルを獲得したのが1867年のことで、アメリカからの出展では同部門の初受賞となり、ヨーロッパにおいてもティファニーが認められたことを証明した結果となります。

さらに1878年にはパリ万博の銀製品部門においてグランプリを受賞、ジュエリー部門でもゴールドメダルと10年間でさらなる飛躍を遂げることとなりました。
完全に世界の一流ジュエラーとしての地位を確固たるものにした瞬間です。

1800年代後半からは完全にアメリカにおけるトップブランドとして君臨していたティファニーは1885年に合衆国印章のデザインを改訂し、現在でも使用されているデザインとなります。

そして1886年、ダイヤモンドを6本爪により高い位置で留めた「ティファニーセッティング」を発表します。光をあらゆる角度から取り入れ大きく反射するよう開発したセッティング法で、現在は婚約指輪の定番となりました。

受け継がれていく伝統

長きに渡りティファニーを支えた創業者のチャールズ・ルイス・ティファニーが死去しても、ティファニーの勢いはとどまることを知りません。
そのDNAは、ジュエリー部門のトップ ボールディング・ファーンハム、そして息子のルイス・コンフォート・ティファニーに受け継がれていきます。

ヨーロッパでカルティエが打ち出したアールデコ様式のジュエリーの流れを受け、1939年のニューヨーク世界博覧会でアール・デコ様式のジュエリーを発表します。
翌年の1940年にはニューヨーク本店を5番街に移転し、フラッグシップ店としてオープンするのです。

1950年に「ティファニーで朝食を」の書籍が出版され、1961年にオードリー・ヘップバーン主演で映画化されます。

もはやティファニーというブランドは、単なるブランドの枠を超え新境地へと登っていったのです。

文房具・装飾品から宝石商へ

1902年、ティファニー社の宝石学者ジョージ・F・クンツが新しい宝石を発見します。

発見者の名にちなんで、クンツァイトと命名しました。同年、創業者チャールズが亡くなり、息子のルイス・カムフォート・ティファニーがビジネスを継承します。

ルイスはデザインディレクターとして活躍し、アール・ヌーヴォーの先駆者となりました。その後、ジャン・シュランバージェ、エルサ・ペレッティ、パロマ・ピカソなどをデザイナーとして迎え、ティファニー独自の芸術感に満ちた作品を続々と世に送り出しました。

クンツァイト

1968年10月、ティファニーは新しい宝石である「タンザナイト」を発表します。

この宝石は最初ルビーを探していたアマチュアのコレクターのマニュエル・ト・スーザーが、東アフリカのタンザニアのアルーシャ地区メレラニ鉱山で偶然に見つけたもので、当初サファイアだと勘違いしていましたが、鑑別を行ったところゾイサイトの変種だということがわかりました。

ゾイサイトと言えば元々不透明でピンクや緑色のものしか確認されておらず、当時この青色のゾイサイトの発見はとても話題になりました。

これをティファニーが1968年10月に大々的に「タンザナイト」として発表します。

ティファニーはこのサファイアのように美しいゾイサイトの販売展開させるためにタンザニアの夜の色をコンセプトに『タンザニアの石=タンザナイト』と名付けました。「ゾイサイト」という名前が、英語で自殺という意味の「スイサイド」に似ているからという理由があった様です。

タンザナイト

1999年には、数十年間の研究を経て開発されたダイヤモンドカット法「ルシダを発表します。独特なカットのルシダはフェイスアップで見ると8角形の形をしており、

1970年に発表されたプリンセスカットとは異なり、ルシダのダイヤモンドは、ガードルから上半分のクラウンが高くカットされています。

また、パビリオンがラウンドブリリアントと同じ面数である25面からできています。名前の由来は”一つの星座の中の一番明るい星を指す”という天文用語で、ダイヤにレーザーで「ルシダ」と刻印されていました。

ルシダ

創業175周年記念となった2012年には、ブランド独自が開発した新しい金属「ルベドメタル」を発表しました。

「Rubedo」はラテン語で「赤」の意味で、夜明けの光にインスピレーションを得た繊細なバラ色の輝きを表現しているとのことです。

金属の成分をあえて発表しないことが巷で話題になることに繋がり、ティファニーの「狙い通り」の評判となりました。

実際には、成分は金が30%〜35%位、銅が5%〜7%位、亜鉛と銀がそれに続く成分となり、他にも微細な金属が含まれている様です。金の量から表現すると「K9ピンクゴールド」若しくは「K9ローズゴールド」というところでしょうか。

しかし金の含有量があまりはっきりしていないことから、金属品位の国際規定である「K◯◯」という刻印は打っていない様です。

使用していくにつれて酸化被膜や場合によっては堂の酸化物である緑青が出てくるため、経年劣化が激しい商品としても有名です。

ルベドメタル

衝撃的なLVMHによる買収

2020年はティファニーが200年近く培ってきた独立系ブランドとしての歴史は終止符を打ちます。
なんと世界最大のブランドコングロマリットであるLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)によって買収されたのです。

ただ、LVMHの買収によってティファニーというブランドがなくなるわけではなく、あくまでLVMHの傘下ブランドとなっただけに過ぎません。

LVMHグループはルイ・ヴィトンを筆頭に、ヴァン・クリフ&アーペルやブルガリ、ショーメなどもありますし、フェンディやセリーヌ、ベルルッティなど数10にもなるブランドで構成されているのです。

こうした巨大ブランドコングロマリットの中でもティファニーの買収額は過去最高額であり、当然ながらLVMHを支える中核ブランドとして今後も繁栄していくでしょう。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

ティファニーのスタートが文房具・装飾品がスタートとは驚きですね!

ティファニーというブランドは、200年近い歴史の中で常にアメリカ社交界の中心に位置し、数々のセレブを魅了しながら一般にまで広く浸透し、誰もが憧れるラグジュアリーブランドへの成長していきました。

ティファニーにはティファニーの歴史がありますが、ティファニーの歴史を語る上で外すことが出来ないのがアメリカという国家との関係性です。

ティファニーは単なるジュエラーにあらず、その歴史はアメリカの歴史とともにあるといってもいいくらいです。
それもそのはず世界一の大国と言われるアメリカですが歴史は浅い国です。
1789年に独立・建国されているのでヨーロッパやアジアの国々と比べるとまだまだ子供のようなものです。

一方でティファニーの創業は1837年。150年以上続くブランドというのはほとんどなく、とても長い歴史を持つ企業でアメリカが建国されてから、まだまだ発展途上の段階で創業されました。

そんな中でティファニーはヨーロッパのダイヤモンドジュエリーをアメリカにもたらした功労者として「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれたあの時代から歴代の大統領の寵愛を受けてきたのです。

そんなアメリカと共に歩んできたティファニー。更なる繁栄に期待ですね♪