「金って値上がってるんだよね?」「昔はプラチナの方が高かったのに」という声をよく耳にします。

そんな金ですが、社会情勢によって変動し続けます。

今月に入ってから異例の上昇を続けていますが、いつ下落するかも分かりません💦

ただ「金」は文明が始まった当初から人々を魅了してきました。

今回は金の歴史と評価基準について解説させていただきます。

日本における金の歴史

日本で金が初めて発見されたのは、現在の宮城県涌谷町付近ではないかと言われています。

8世紀から

平安時代の歴史書「続日本紀」の記述から、749年に日本初の金発見となったのはないかとされています。752年に東大寺が建立されますが、その大仏にも金メッキが使用されています。この大仏は聖武天皇の発願により始まった一大国家プロジェクトでした。749年、大仏本体が形になる目処が経ちました。その際、約150kgの金が使われたとされています。

しかし、金メッキを施すための金の量が大きく不足します。金を確保するために、危険を伴う遣唐使の派遣も検討されていました。このタイミングで、国内にはないと思われていた金の発見を陸奥守が報告しました。現地の官人や功労者に叙位がなされたり、減税の政策が行われたりと当時の政府は大歓喜し、東大寺の大仏は鋳金されることとなります。

東大寺の大仏

佐渡の地金

佐渡は古くから金の島として知られていて、平安末期の「今昔物語集」などの記述からもうかがい知れます。古くから金の存在が知られていた佐渡ですが、江戸時代(17世紀)に鶴子銀山の山師が金銀鉱脈が発見されました。これが我が国最大と言われる佐渡金山です。その後、関ヶ原の戦いに勝利した将軍徳川家康は佐渡を直轄領に指定します。

江戸幕府の直轄領となったことで盛んに金銀が発掘され、日本最大の金銀山となりゴールドラッシュが始まりました。これ以降、江戸幕府の財政基盤を支えていきます。しかし、江戸時代中期からは産出量が少しずつ減ってしまいました。そこで1869年明治政府は西洋技術者を送り込み、佐渡金山発掘を近代化させることで、佐渡金山の増産を目指します。1889(明治22)年には、宮内省御料局管轄の皇室財産となり、模範鉱山として日本産業の近代化に貢献しました。
その後1896(明治29)年に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として拡大発展を遂げました。

新設備により金鉱山の近代化を図るだけでなく、技術教育をするための学校も作るなど更なる増産の下地を作ります。これらの施作によって江戸時代前期、最も盛んであった頃の産出量にまで回復させることに成功したのです。1989年に操業を休止するまで、400年にも渡って稼働し続けてきたその歴史を、現在にも伝えてくれています。

佐渡金山

佐渡の金

世界における金の歴史

古代メソポタミア~エジプト

紀元前6000年の昔、チグリス川とユーフラテス川の辺りにあった「メソポタミア」で文明が栄えていた時代まで遡ります。

そこには天文学に才のあるシュメール人が文明を持っていました。シュメール人の文明は非常に高度であり、メソポタミア文明を発展させ、自分たちは「アナヌンキ」と呼ばれる神々の集団によって作られた、と考えていました。

未だに謎に包まれた部分も多いシュメール人ですが、「アナヌンキは金を採掘するために別の星から地球に来た」と粘土板に残しています。

これが、世界で最も古い金の逸話であり、古来から金が人類を魅了していたことをうかがい知ることができます。

また金の純度を表す24分率もこのメソポタミア文明を起源としています。

太陰暦にも代表されるように、このころは割合を24分率で表すことが一般的でした。つまり、1日を24時間で表す考えと、金の純度の起源はどちらもこのメソポタミア文明でした。

その後、エジプト王朝の時代では金とエジプト王朝の関わり合いは深く、紀元前3100年頃には既に、エジプトのファラオが身に着ける装飾品に多くの金が使われていたことが分かっています。

そもそも、当時エジプト王朝の繁栄を支えていたのは、金の採掘でした。当時は金の所有量が国の繁栄を左右するほど、金は国家にとって重要なものでした。

エジプト王朝と言えば、紀元前1300年ごろに作られたツタンカーメンの棺やマスクを思い浮かべますが、そのマスクは王の威光と国家の繁栄の象徴として、23金(純度95.8%)と言う非常に純度の高い金を使って装飾がされ、さらに棺にも約100キロを超す量の金が使われています。その時代、金はその希少価値から特に高貴な存在であったファラオのみが装飾として利用することを許されていました。

ツタンカーメンの墓からは、他にも2000点以上ものの、金や宝石を使った装飾品が発見されていますが、中でもこのマスクはその歴史的な価値も含め時価300兆円とも言われています。エジプトは特に、「太陽信仰」が行われていたため、光輝く金は太陽神ラーの一部と考えられていました。そのため、宗教儀式やファラオのみが使用出来ていたのです。

神聖視されていた金は国家によって徹底管理され、一般市民はかけらを持つことも許されていませんでした。当時の金採掘は、川でザルを用いて砂金を集める「パンニング」で行われており、1人が集められる量はごくわずかなものでした。この膨大な労力を考えても、当時のエジプト王朝が絶大な権力を保持していたことがよく分かります。

王女の墓から出土したペクトラル

出土された襟飾り

カルフォルニアゴールドラッシュ

1848年、19世紀のアメリカ・カリフォルニアで偶然砂金が発見されました。

このニュースが流れるやいなや、それまで荒涼とした砂漠が広がるだけだったカリフォルニアに、わずか数年でたくさんの人々が押し寄せました。

一説によると、集まった人数は10万人以上だったとも言われています。

当時は現代のような交通機関も発達していませんでしたので、カリフォルニアに行く事すら命がけだったそうですが、そこまでして一攫千金を夢見た人々の中で、本当に大儲けできたのは一握りの人だけだったと言われています。

ほとんどの人は、まともに金を取る事もできず、僅かな稼ぎも生活費にすべて消える…そんな過酷な生活だったと言います。

その後カリフォルニアには金山も発見され金によって歴史が大きく変わった街だと言えますが、その歴史の影にはこういった報われなかった人々も大勢いたのです。

金の価値はどのように決まるか

金はいつの時代も高い価値を誇ってきましたが、常に一律の価格ではありません。

金の価値・価格は、

・金の純度

・需要と供給

・為替相場

この3つが大きく関わってきます。

それぞれをご説明いたします。

金の純度

K24とかK18とかいう符号を金製品で見かけたことはありませんか?

これは金の純度を示すもので、カラットKaratの略称です。品位と称することもあります。

金はやわらかいため合金にして硬さを調節しますが、この中の金の割合・純度が高ければ高いものほど価値を持ちます。

K24は金純度99.99%のほぼ純金、インゴット(バー、延べ棒)などの資産として、また一部の国での金貨としてが主な用途です。

K22やK18と純度が下がるとジュエリーや高級時計などにも使用され、実用に適した堅牢性を備えますが、金としての価値は下がることとなります。

金製品にはこの純度が多くの場合で刻印されているので、大きな目安になりますね。

需要と供給

金が高い価値を持つのは稀少性、つまり供給量の少なさにあります。

人々の大きな需要を上回るほどの産出が見込める可能性は将来的に見てもかなり低いでしょう。

金の美しさへの需要はもちろんですが、「金の価値」への需要が高い、という理由があります。

世界的に強い円が流通している日本ではあまり実感がありませんが、情勢不安な国の人々は自国通貨を信じず、金という安定した資産を手に入れようとします。

これは世界情勢や景気が不安定な時が最も顕著で、需要が供給を大きく上回り金の価値・価格を高騰させます。

金を「不確実な時代における安全資産」とする考え方は、同時多発テロやリーマンショックが発生した2000年代に大きく広まりました。

もちろん需要が落ち着き金の価値・価格が下がることもあります。

それは、世界景気が好調な時。

現在日本を始めリーマンショックから立ち直り景気を回復させる国が増えたことから、金の値動きは安定したものとなりつつあります。

為替相場

金相場はドル建てのため、為替レートの影響も考慮しなくてはなりません。

日本国内でも金採掘がまた始められようとしていますが、やはり現在は輸入がほとんど。そのため円安だと金価格は上昇し、円高だと下落するようになります。

他には現物そのものの価格に、保険料が輸送料が加算され、最終的に日本国内での金価格が決定する事もあります。

また為替相場ということは世界情勢の影響も度外視できません。

まとめ

金の歴史や価格決定の知っているようで知らない「金」について解説いたしました。

金が高い価値を持つことは周知の通りですが、これだけ長い歴史があること、そして今なお日々金の価値への注目度が高いという事実には驚かされるばかりです。

今後も安定した価値を持つであろう金ですが、世界情勢などにまつわる需要と供給や為替変動でその相場を大きく変えてくる可能性もあります。

もし金の売却をご検討でしたら、今の価値・価格などお気軽にお問合せくださいませ。