様々なブランドがある腕時計の世界。ロレックスやオメガあたりは、腕時計のブランドと聞いてすぐに思いつく方も多いのではないでしょうか?ロレックスのスポーツモデルは、中古市場でも軒並み定価を超えてくるモデルばかりですし、オメガも根強い人気で今なお愛される時計の一つで、身に着けている方も多いブランドです。
 
しかし、世界三大時計と言われる格式あるブランドには入っていないのです。
では、その世界三大時計にはどんなブランドが入っているのか?一つ一つのブランドの歴史を紐解いていきたいと思います♪歴史を知ると、時計への思いがさらに高まりますよ◎
 
 
 
諸説というのも、賛否両論があるという意味での諸説です。多くの共通認識としましては、これからご紹介するブランドが三大時計と言われていますが、どこのブランドも素晴らしい歴史や技術を持っており、甲乙つけがたい中でも【三大】と言われているということですので、最初の最初ですがそこを踏まえてご理解いただいたうえで、ここからの記事を読んでいってくださいね◎
 
それでは、本題に行きたいと思います!!
世界三大時計と言われているのは以下のブランドです◎
 
◆パテック・フィリップ
◆ヴァシュロン・コンスタンタン
◆オーデマ・ピゲ
 
この3ブランドが格式高い三大時計と言われています。この後の項目では、各ブランドの歴史を紐解いていき、世界三大ブランドの一つにどのような背景で成っていったのかをご紹介していきます。
 
余談ではありますが、「諸説」についても少しだけお話しておきます。
色々な意見がある中で言われているのは、世界最古のブランドである「ブランパン」を入れるべきという意見や、時計技術を200年進めたといわれる「ブレゲ」を入れるべきだという声や、「ランゲ&ゾーネ」を入れるべきだという意見など様々あります。
 
そうした意見がありながらも、世界三大に選ばれたブランドの歴史を、ぜひ楽しんでください♪
 

パテック・フィリップ

世界有数のマニュファクチュールであるパテック・フィリップは、創業から180年以上もの長い歴史を誇っています

マニファクチュールというのは、腕時計の心臓部分ともいえるムーブメントから自社で一貫して製造するメーカーを指します。

 

パテック・フィリップは1839年に「アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック」と「フランソワ・チャペック」がジュネーブに時計工房パテック・チャペックを開設したことから始まります。

パテック・フィリップの始まり~第1の時代~

左:アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック 右:ジャン・アンドリアン・フィリップ

1839年に「パテック・チャペック社」という現在のブランドネームとは違う名前で始まりました。

当時は、「アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック」と「フランソワ・チャペック」の二人で創業したので、二人の名前を冠しての社名がつけられました。

これが今あるパテック・フィリップの始まりでした。

 

その後1844年、パテックはパリの博覧会で運命の出会いを果たすことになりました。

その博覧会に出向いたパテックは、素晴らしい時計と出会います。リューズ巻き・針合わせ機構を備えた懐中時計です。製作者は、フランス人時計師の「ジャン・アドリアン・フィリップ」だったのです!世界最高の時計を作りたいという思いを持つ二人は、すぐに意気投合しました。

 

その翌年には、チャペックの代わりにフィリップが技術者に就任し、1851年に正式に経営者に加わったことで、今に続く『パテック・フィリップ』の名前が生まれたのです◎

同じ年、ロンドン万博で金賞を受賞。以来、パテック・フィリップは一度も途切れることなく、世界最高の時計を目指して技術革新を続けました。それと同時に、美しさも重視するジュネーブの伝統を受け継いで、最上級の手仕上げと工芸技術で、外装でも世界最高と称賛されています。

現代のメゾンを率いるスターン家~第2の時代~

左:フィリップ・スターン名誉会長 右:長男のティエリー氏

1932年、創業者一族がメゾンの所有権をスターン一族に譲り渡しました。

新たな経営者となったスターン家もまた、創業者の遺志を継いで革新性と芸術性の両側面を今日まで追求し続けました。それを可能としたのは、パテック・フィリップが独立したメゾンであり続けたからです。

投資家や親会社といった外野の声に煩わされることなく、自由な創作がパテック・フィリップの時計に唯一無二の価値を与えてきました◎

 

自由である分、他に類がないほど厳格な品質基準で自らを律し、革新性と美しさだけでない比類のない高品質と信頼性も追求するのが、パテック・フィリップの伝統なのです!

 

オーデマ・ピゲ

グループ企業に属することなく、独立性を維持する時計メゾンオーデマ・ピゲ。

その歴史は1875年、農場の一角にあった建物の、なんと屋根裏部屋に作った時計工房から始まります。その小さな工房で優れた2つの才能が出会い、メゾンとしての礎を築きあげ、子孫の手で発展を続けてきたブランドです。

 

小さな時計工房から始まった歴史は、140年以上の歴史を紡いできました。

その歴史を解説していきたいと思います♪

オーデマ家とピゲ家の出会い

左:ジュール=ルイ・オーデマ 右:エドワール=オーギュスト・ピゲ

オーデマ・ピゲの歴史には2人の主人公が居ます。

この歴史物語の舞台は、スイスのジュウ渓谷のある町「ル・ブラッシュ」が舞台となります。1875年にこの町の屋根裏部屋に、小さな時計工房が誕生しました。

工房の主は「ジュール=ルイ・オーデマ」、主人公の一人目です。オーデマの才能は、修行時代から時計界ではでは知られた存在でありました。特にクロノグラフやリピーターといった複雑機構が得意で、工房の開設後はすぐに有名な時計メーカーからの仕事が舞い込んできていました。

しかし、その仕事量はとても一人では捌ききれないほどの数だったので、すぐさま彼はもう一人の時計師に声をかけることにしました。

 

その時計師が「エドワール=オーギュスト・ピゲ」。二人目の主人公です。ピゲは、オーデマの2つ年上で、同じ小学校に通っていた幼馴染でした。時計師としての出会いの以前に、ふたりは小さなころから出会っていたんですね◎

二つの才能が出会ったことで、さらに複雑なムーブメントが生み出されるようになり、より多くの時計メーカーに納品されるようになりました。

運命の決断

ル・ブラッシュ風景

1881年、二人は大きな決断をします。

 

メーカーからの下請けではなく、自分たちのブランドを設立することを決心したのです!!こうして翌年の1882年正式に今日まで愛されている『オーデマ・ピゲ』が誕生しました。

 

ブランド設立にあたり、二人は明確に役割分担をしました。オーデマがムーブメント開発に専従し、ピゲは営業を担当した。オーデマが生み出す複雑機構を完璧に理解できる時計師のピゲが営業をし販売するという完璧なコンビネーション。

その戦略が功を奏し、オーデマ・ピゲの時計が名声を得るのには、それほど時間を要することなく地位を確立しはじめました。

 

複雑機構を得意とした時計開発は、オーデマの手によって世界初のミニッツリピーター搭載の腕時計を開発するに至りました。1892年のことでした。

以降、オーデマ・ピゲは途切れることなく、優れた時計製作に従事してきました。

二人の息子たちもその想いと技術をしっかりと継承し、1927年には世界最小のムーブメントを生み出すことになりました。才能ある時計師の血は脈々と受け継がれており、オーデマの孫は薄型ムーブメントの名機を生み出し、1972年誕生の「ロイヤルオーク」にも大きく貢献したのです。

 

グループに属さず、自主性を重視したオーデマ・ピゲの時計は、オリジナリティにあふれ、今日までも愛される時計となりました。

ヴァシュロン・コンスタンタン

一度も途切れることなく現在に至った、最古の時計メゾンのヴァシュロン・コンスタンタン。

創業は1755年。なんと260年以上の歴史を、創業の地スイス・ジュネーブでつないできました。機能と美しさを極める国際的な時計メゾンの礎は、ヴァシュロン家とコンスタンタン家が築いてきました。

 

歴史の深いこのブランドの創業からを、紐解いていきましょう!♪

長く続く歴史の始まり~3人の偉人~

左:創業者ジャン=マルク・ヴァシュロン 中:フランソワ・コンスタンタン 右:ジョルジュ=オーギュスト・レショー

ジュネーブの時計産業が発展中の真っただ中にあった1755年9月17日、24歳の時計師が一人の見習い職人を雇い入れた。その時計師の名前は「ジョン=マルク・ヴァシュロン」である。今日まで続く歴史はここから始まりました。

同年に、ヴァシュロンが制作した懐中時計が残っています。優れた美観が伝統となっているヴァシュロン・コンスタンタンの時計は、この当時から受け継がれており、銀製のケースに収めたムーブメントは、脱進機の周囲を美しいアラベスク装飾の彫金が彩っています。

その優れた技術と美意識は、息子アブラアムと孫のジャック・バルテミトーが受け継ぎました。

 

ジャックはフランスに販路を拓き、次いでイタリアでも成功を収めました。そしてこのイタリアで運命の出会いを果たします。

ブランド名にもなっている「フランソワ・コンスタンタン」です。イタリアに別のブランドの時計を売り込みに来ていたコンスタンタンのビジネスセンスにジャックが惚れ込み、1819年に共同経営者として招きいれました。

ヴァシュロン・コンスタンタン』の名前はこの時生まれました。

 

コンスタンタンの手腕により、販路は大きく拡大され、北米や南米にまで販路は広がりました。また、当時の時計ブランドには珍しかった宝飾品の制作もはじめ、国際的なブランドへと一気に躍進していきました。

国際的ブランドとなり、多くの生産が必要となったブランドは、1839年に雇い入れた時計師「ジョルジュ=オーギュスト・レショー」によって飛躍的に生産力を上げました。

彼は、ムーブメントの地板上にブリッジをセンタリングし、穴を開ける機械のパンタグラフをはじめ、いくつもの工作機械を考案。これによって、製造効率とクオリティとが一気に高まったのです!

今なお残るケ・ド・リルの社屋

大きな躍進をし続けたヴァシュロン・コンスタンタンは、1875年に手狭となった今までのアトリエを離れ、ローヌ川の中州ケ・ド・リルに完成させました。

この社屋は、フランソワ・コンスタンタンの甥ジャン=フランソワが指揮をし、近代的な設備を整えた社屋になりました。

現在でもこの建物には本店のブティックが入っています◎建物にも美的配慮がされており、ジュネーブのオペラハウスを手掛けた建築家ジャック・エリゼ・ゴスが作り上げました。

 

57のも機能を同時搭載し世界一複雑な時計と言われる「Ref.57260」に代表されるように、複数の機構を組み合わせた超複雑時計の名手は、多くの人の想いを受け継ぎながら、技術の革新をし続け今のなお愛される時計ブランドへと成っていきました。

Ref.57260 ユダヤ暦の永久カレンダーや世界初のレトログラード式スプリットセコンド・クロノグラフ、グレゴリオ暦や均時差表示、天文表示などを備える。

 

まとめ

世界三大時計と言われるブランドの歴史はいかがでしたでしょうか?

どこのブランドも素晴らしい歴史を持っていますし、各ブランドに誇れる技術を持っていることも間違いないです。しかし、三大時計ブランドに焦点を当てて見てみることで、納得できるような背景を感じるもの、これもまた事実だと思います!

 

三大時計ブランドに限らず、素晴らしい技術を詰め込んだ時計は、やはり高価なものではありますが、いつか1本は持ってみたいですね♪

それを手にしたときに、ここに書いてきたような色々な歴史を思い出し、その当時から止まらずに時を刻む時計を見ながら時間を過ごすなんてのも、贅沢な楽しみではないでしょうか。

 

今度は、各ブランドにモデル紹介でも書いてみたいと思いますので、ぜひお楽しみに!!

最後までお読みいただきありがとうございました!!